著者
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美脚美尻美姿勢を丸ごと手に入れる
美筋トレ専門パーソナルトレーナー
上野 喜貴(うえの よしたか)
埼玉県坂戸市出身
3人兄姉の長男として生まれ、幼少期から野球を始める。プロを目指し日々練習に取り組むが断念。
肘をケガした経験や、より多くの方にスポーツを楽しんでもらいたいという想いからスポーツトレーナーの専門学校へ進学。
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こんにちは!
代表トレーナーの上野です( ´∀`)
突然ですが、好きな野球選手は誰ですか?
好きな陸上選手は誰ですか?
と言われて女性はあまりわからないかもしれません。笑
野球少年、陸上少年だった私は思い入れがある選手がたくさんいるのですが、今日は箸休め企画でスポーツのお話です。
私は、ちょっと変わっていて、好きな野球選手は誰?と聞かれると普通は「イチロー選手」とか「松井選手」とか我々の世代のヒーローと言いますと「清原和博選手」。好きなプロ野球選手と聞かれると清原選手と西武の元エース西口文也投手と言うのですが好きな野球選手と聞かれた場合は、エネオスの池辺啓二選手。
誰やねーん!!
簡単に経歴を紹介すると・・・
出身校は和歌山県の智弁和歌山高校(名門ですね)
智弁和歌山時代に春選抜で準優勝、夏は全国制覇を成し遂げた時の4番打者でした。
3番は元ヤクルトの武内晋一選手。私が中学3年生の時の甲子園だったので一番インパクトがあった大会だったんですねぇ。それを覚えている方は多いかもしれません。
その後は、プロには指名されず慶應大学へ進学します。
1年生からレギュラーで4年時には全日本選抜にも選ばれていたのですが、結局、プロからの指名はなく社会人野球の新日本石油へ。
慶應大学の時に、川越市市制施行100周年記念で六大学野球のトーナメントをやった時に川越初雁球場に来たので弟と見にいったのを覚えています。(弟も変わり者で知らないような選手が好きだった気がする)
新日本石油(エネオス)に進むと都市対抗やらなんやらに出場していい成績は残しますが結局、プロから指名はされずミスター社会人で引退します。
プロ野球選手にはなっていないので圧倒的に知名度が低いのですが、甲子園で優勝しているのでそれを言うと意外と知っている人がいるというマニアック過ぎずマニアックな選手です。
左で足を大きくあげる打撃フォームに憧れてマネをしたら監督に足をあげるなと怒られて、あげない打撃フォームをそのまま続けているなぁ。(結果、そっちの方がよく打てるという監督ってスゴイ)
そして、第二弾!
好きな陸上選手!
ありきたりなところでいうと私はマラソンが好きなので大迫傑選手、服部勇馬選手、中村匠吾選手など今をときめく選手から同世代の佐藤悠基選手、憧れの高岡敏成選手や藤田敦史選手などなど。(福岡国際マラソンで日本記録を出したレースなんて震えあがりましたけどねぇ、藤田選手の)
そんな大勢いる中で、私が好きで憧れていた選手が、永田宏一郎選手。
知らないですよねぇ。
経歴を軽くご紹介します!!
高校時代は無名で鹿児島の錦江湾高校に通っていました。
インターハイなどにも出場していなかったはずです。(出ていたかな?)
大学は関東へは行かずに地元の鹿屋体育大学へ進学します。
正直、2年生までは全く知りませんでした。(箱根には出ないし、特出して強い選手ではなかったので)
しかし、3年生になると出雲駅伝1区で第一工大の外国人選手に次ぐ2位で襷を渡します。続く全日本大学駅伝では1区区間賞を獲得。そして4年生になると日本インカレで優勝をして関東の学生を差し置いて(当時は佐藤敦之選手や徳本一善選手など)学生ナンバーワンの選手となっていました。
出雲駅伝では6区区間新記録を樹立!
箱根に出れないため全日本大学駅伝が最後となるのですが、1区で区間記録を狙うと公言してスタートすると、スタート100Mくらい(当時の記憶では)からもう飛び出して、他校の選手を寄せ付けない走りをします。
そして区間新記録を樹立するのですがこれがただの区間記録じゃないんですね!
2018年のコース変更まで18年間区間記録として残っていました。1度だけタイ記録を出す選手がいるのですがそれがケニアからの留学生で当時最強だったギタウ・ダニエル選手。
裏を返すとダニエル選手でも区間タイ記録が精一杯だったということ。
そしてコース変更が行われたので昨今のシューズなどの改良による記録ラッシュによって更新されることなく永遠に区間記録として残ることになったわけですね!
中学生の頃、1区を楽しみに見ていて区間記録を見てから部活に行ったことを覚えています。
遅刻しそうだったので区間記録で走っていなかったらおそらく遅刻してました。笑
そんな永田選手も卒業後は名門旭化成に進み、最初の1、2年こそニューイヤーなどで活躍しましたが、その後は怪我などによって活躍が出来ず。(アテネオリンピックの時には代表一歩手前まで行きましたけどね)
小森コーポレーションに移籍して、フルマラソンにも挑戦していましたが結果が出ず、引退。
引退後は母校、鹿屋体育大学の大学院に行って教員免許を取得し、現在は鹿児島で教員をなさっているという噂。
本当に憧れ過ぎて、大学進学を決める際に、本気で鹿屋体育大学を志望したほど憧れていました。(頭が足りないのと鹿児島はちょっと遠すぎるという理由でやめましたが)
とまあ、皆さんにも憧れの選手、好きな選手、思い出の選手、スポーツ、チームなどがあるかと思いますが、こんなコロナ禍でもスポーツを楽しんで、そして自分も打ち込むことが出来たらより人生が楽しくなるのではないでしょうか?
コロナだから何も出来ないと下を向いても意味はありません。
オリンピックなんてやめちゃえという声もありますが、どうやったら出来るかを考えて本当に出来ない状況であれば仕方ない。というだけでしょう。
何でも同じだと思いますので前を向いてポジティブに運動やダイエット、スポーツに取り組んでいただけたらと思います。
長々と私の趣味の話におつきあいいただきありがとうございました!